会社創業時の1970年代は、若者向けのレジャーが少なくて、車でドライブするなどの娯楽しかありませんでした。そんな中でテーブルゲームの始祖ともいえるインベーダーゲームが流行り、大きな流れを社長は見逃さなかったんです。持ち前の行動力で、直接ゲームメーカーに行って、福井で最初のインベーダーゲームを導入しました。

設置されたのは、1978年9月1日、福井市の駅前の中心部にある「元町1号店(元ガリレア元町)」が、福井初のゲームセンターになりました。北陸レジャーの歴史は、そこからスタートしました。

元町1号店は若者たちに浸透し、彼らの社交場となりました。

立ち上げから今まで、苦労してきたことは?

70年代後半より、急激に成長してきたゲーム業界に大きな転機が訪れます。1985年に施行された、風営法によるゲームセンターの営業時間の制限、学生は夕方までしか入場できない、等の年齢制限です。営業時間の短縮により、売上に大きな影響が出てしまいました。

どの店舗も、なんとか24時間営業できるようにならないだろうか、と考えました。それからは風営法が改定されるたびに、対応するという形をゲームセンターはとってきました。他には、家庭用ゲーム機が普及しはじめたことにより、ビデオゲームだけでは無く、家庭では出来ない体感型のゲームを置くようにしたりなど、時代によって対応していきました。

努力してきたことは?

遊び場の中心が、ロードサイドのショッピングセンターへと移行し、出店に向けて、新しい遊戯の形を作っていきました。常に最先端のゲームを取り入れる努力をしました。ロードサイド、路面店の考え方を変化させ、ショッピングセンターではファミリー層にターゲットをシフトしていきました。

現在のゲーム業界について。

メインはUFOキャッチャーと呼ばれる、クレーンゲームになっています。プリクラは大きな変化が無く横ばい。ビデオゲームやカードゲームは、スマホゲームなどの台頭による影響が大きく、停滞している状況です。
クレーンゲームのプライズ関連に、当社も力を入れています。

これからの展望や夢を教えて下さい。

現在はコロナ渦ということもあるので難しいのですが、将来的には電子的なゲームだけでは無く、広い敷地を利用したサバイバルゲームなどのフィールド型ゲームにも着手していきたい。友だち同士で遊びに来やすい環境を作れたら、と思っています。あとはデジタルに特化したオンライン型ゲームの導入ですね。特にネットクレーンは、コロナ渦での遊びの形として、かなり注目しています。

素直なことは大切ですが、負けず嫌いであって欲しいと思います。自分の考えを言葉に出来る人は、常に何かを考えているのだと思うんです。そして日々起こる、あらゆることに興味を持ち自分なりの仕事に対するセンスを磨いてほしい。周囲と違うことをすると、変わり者と見られてしまう。それを怖がらないで欲しい。率先して、変わり者になって欲しいんです。自分たち上層部が心配になってしまうくらい、何でもやりたいと思うことを発信して、進言して欲しいです。人と違うことは、決して悪いことじゃないですから。

最後になりますが……私たちの仕事は接客業になります。日々の、お客様とのコミュニケーションを大切にしてください。

お店は小さなお子さんからご高齢の方まで、幅広くご来店いただきます。最初のうちは現場で戸惑うことも多くあるかと思いますが、お客様一人ひとりが先生と思って、多くのことを吸収して欲しいと強く願います。